多趣味です!聞いてね♪
明るくて楽しい人
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新年明けましておめでとうございます。
寒い毎日が続いておりますが皆様いかがお過ごしですか?
コロナ禍で普段とは違うお正月にを過ごされている
会員様も多いのではないでしょうか。
私はこの年末年始、静かにお正月を過ごしております。
当たり前だった日常が非日常になった昨年。
非日常が日常になってしまった今、前よりもずっと
普通の毎日をこんなにも尊く思えるようになったのは
とても大切な事。
今年は前よりもずっと、丁寧に生きなければと、心を引き締めて日々を過ごしたいと思っています。
いつも繋がってくださっている常連様、そして、これから出会うかもしれない会員様。
この2021年が幸多き年になりますよう、心よりお祈り申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
AYU
今年も残す所2日となりました。
本年も仲良くしてくださった会員様に、
心より感謝とお礼を申し上げます。
皆様にとって2020年はどんな1年でしたか?
私にとって、コロナ禍の1年は不安の日々でした。
趣味を思い切り楽しむ事もあまり出来ず、家に籠る日々。
この、予想もしなかった毎日の中でも、気が付けた事が
たくさんありました。
今まで目を向けて来なかった事を真剣に考えるように
なったり、なによりも命の大切さをこれ程に考える事は
今までなかったでしょう。
まだ先の見えぬままの年末となりましたが、皆様方が
健康で良い年をお迎え出来ますよう、心よりお祈りして
います。
AYU
久しぶりの日誌更新です。
7月に入り夏本番も目の前ですが、九州地方は遅い梅雨入りをしたと共に被害が出る程の大雨になっている所もあります。
まだ雨は続くとの予報が出ていますがこれ以上の被害が起きない事を祈るばかりです。
令和元年を迎え2ヵ月が経過しましたが、あれだけ違和感を感じていた「令和」という元号にも意外と馴染むのが早く、名残り惜しかった「平成」も今はすっかり過去と受け入れてる自分がいたりします。不思議なものですね・・
人は目に見えない明日を迎える事には少し臆病なのかもしれません。
幸せで平穏な明日が来るとわかっていたら誰もが喜んで明日を迎える事でしょう。
先日、6月最後の日曜日。
自宅から少し車を走らせると、目の前に海岸が広がる砂地に、ハマナスという花が咲く公園へ行ってきました。
そこはその昔、映画の舞台のひとつとなった灯台のある公園で、自身の市町村の花であもあるハマナスの花が広い砂地に自生する場所なのです。
今まで何度か足を運んでいるけれど、なかなか花が咲き乱れるという風景は見ることが出来ず、パッと見た感じでは緑が生い茂っていて花はほとんど目に入りませんでした。
でも目線を落とし、遊歩道を歩き進めていくと、所々ですが砂地に濃いピンクのハマナスがいくつか咲いていました。
写真を撮りたかった私は綺麗に開花しているものを探すけれど、なかなか見つける事が出来なくて、好きな画角で写真に収める事が出来ずで、花と灯台を同じ1枚に収める事は出来ませんでした(涙)
あらためて自宅に戻りハマナスについて色々調べてみて初めて知った事がありました。
初夏から晩夏にかけ次々と花を咲かせるハマナスのひとつひとつは花の命が短い「一日花」と言うこと・・・そしてそれに由来する花言葉は・・・
「悲しく美しい」と言うこと。
「一日花」のハマナス・・・なぜ花びらが落ちかけていたり、萎びているものが多いのか理由がわかりました。
その中で見つけた綺麗に開花するハマナスは、その美しく咲く瞬間を見れただけで小さな奇跡だと思いました。
明日この美しく咲くハマナスに会う事は出来なかった・・・そう思うだけでちょっと感動しました。
50歳を過ぎ今までとは少しだけ違う自分が居ます。
ものの見え方や捉え方、感じ方が変わったり・・・自分ではいい変化だと感じています。
「喜びも悲しみも幾年月」
この場所が舞台のひとつになった映画のタイトルと歌の歌詞が歌碑となって公園入口にありました。
何度も来ていたのに目にも止めていなかった歌碑や歌詞・・・
そして当たり前に季節の花として目に入っていたハマナス・・・
ほんの小さな奇跡を見つけた日曜日の午後でした・・・。
小さな奇跡はきっとたくさん自分の周りにあるんですね!
これからもそのひとつひとつに気が付ける自分でいたいと思っています。
皆様にも穏やかな毎日と素敵な奇跡が訪れますように・・・
AYU♡
いつも日誌を読んでくださりありがとうございます。
今日は3月11日。もうすぐ14時46分。
あの日から8年の月日が流れました。
8年という年月は人によってはとても長く、
そしてあっという間で短く感じる人もいる。
辛く悲しい時間は長く
楽しくて幸せな、時間はとても短い・・・
人はそう感じるのではないでしょうか。
私事ですが今年も実家帰省の折、北関東、東北へ行きました。
住宅が、あったであろう場所には不自然
なくらいの太陽光パネルが、並んでいたり
見渡す限り整地され一件の家もない土地。
復興は進んでいるのだろうけれど、それでも
ここに以前は人の暮らしがあり、当たり前の日常があったのだと思うと、事の大きさにただ胸が苦しくなりました。
そして建物にふとある津波の高さの表示に恐怖を覚えました。
私自身、去年の胆振東部地震を経験しま
した。
前日は滅多に来ない台風が北海道を直撃し、
不安で眠れない夜を過ごした次の夜中・・・
地震速報と共に経験した事のない揺れが
震源地そして広範囲を襲いました。
「こんな地震がここにも来るんだ・・・」と
どこか他人事に思えてた自分に気が付きました。
自然災害はいつ、どこで誰が経験するかわかりません。それはみんな平等に起き得る事。
「備える事の大切さ」
「人との繋がり」
「相手を思いやる気持ち」
そして・・・
「命の尊さ」
人は自分の為だけに生きているのではなく、
自分を大切に想ってくれる人の為にも
生きているのだと身をもって実感しました。
未だ2587人の人達が見つかって居ない現実があります。
その数の何倍もの辛く悲しい思いをしてる
人達が居ます。
自然災害の多かった平成の時代、
多くの命が失われ、たくさんの人達がその
悲しみを抱え今も生きているのです。
楽しい時間は誰にとっても大切です。
でも、時に「命」と向き合う、「命」を考える
時間を持つ事も大切。
思いを寄せ手を合わせる時間。
今日と3月11日はそんな日だと思っています。
忘れてはいけない
風化させてはいけない
思いを寄せながら・・・
自分に出来る事を何か少しでも。
多くの尊い命に手を合わせ・・・
「冥福」 「復興」 「平和」を祈りたいと思います。
AYU
https://fukko.yahoo.co.jp/?fr=top_evt311_smp
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